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サイトリベンジは、2006年に約7年間続けたサラリーマン生活からスピンアウトした 代表谷津田が、『ITを利用してもっと個人が幸せになるためのお手伝いをしたい』 と思いから2007年に開業しました。
サイトリベンジ 代表谷津田の、バックボーンをプロフィールという形で紹介いたします。
サイトリベンジ 代表谷津田のプロフィール
| 名前 |
谷津田 崇(やつだ たかし) サイトリベンジ 代表 |
出身 | 1978年福島県出身 | 主な経歴 |
1996年会津大学入学 コンピュータ理工学部 ソフトウエア学科を専攻 2000年伊藤忠テクノサイエンス株式会社入社 システム営業として神奈川営業部⇒教育官公庁営業部で法人営業を担当 2006年同社退職 |
現在 |
準備期間を経て2007年4月にサイトリベンジを開業 できる限り小資本で成功するノウハウを自身の経験から編み出し、 自社サーバー構築&運用ノウハウ、ホームページ作成ノウハウを開発。 |
プロフィール詳細
※注 個人ヒストリーなので、余程興味がある方以外は読まないでください
運動音痴でダメダメ小学生時代
小学校入学時に身長が110センチにも届かず、体重も17キロくらいでモノスゴク 小さかった私は、運動にかなりのコンプレックスを持ってました。
ジグザグドリブルという競技をやったら、女の子も含めてクラスワースト記録。 かなりへこんだことを覚えています。
小学校6年生になるまで、やはり平均よりも背は小さくヒョロヒョロだったので、 運動会のかけっこで、3位以内に入ったことはありませんでした。
そんな小学校時代。 運動は全然ダメだったので、せめて普通の授業では明るく前向きにと、率先して 手を挙げてガンガン失敗していきました^^;
そのおかげで、失敗することを恐れて何もしないよりは、とりあえず何でも やってみてダメだったらその時考えよう、という今のベースが出来たようです(笑)
超多忙な中学生時代
学校で1番忙しい中学生だったに違いありません。
部活動はバドミントン部と駅伝部(特別部活)に3年間所属。 それ以外に週一回の習字とピアノのお稽古事に加え、週二回の学習塾。
駅伝部の練習では3日に一度の休み以外は毎日朝7時15分からの朝練と 放課後2時間程度の練習。
その後にバドミントン部の練習を2時間くらいと、部活動と習い事関連で モノスゴイハードなスケジュールを毎日こなしていました。
あまりにも忙しいので、ちょっとしたコマ切れ時間を大切に使う意識が 芽生えたんだと思います。
たとえば、学習塾で早く問題が解けたときはすかさず眠ったり、学校の授業で 自習の時間ができた時は、次の中間・期末テストの勉強を必死になってやる、 そういったことでバランスを取ってたようです。
人間、余計な時間がない方が能力を発揮するらしく、部活動でも学校の成績でも 同じ学校の人より劣っている、と感じたことがあまりなかったですね。
※運動音痴は小学校6年生から中学生になる間に急激な身長の伸び(10センチ以上) に伴い何故か解消されました ^^;
メリハリのなかった高校生
超多忙な中学生時代に比べ、高校生時代はパッとしませんでした。
家から800メートルくらいの近所に高校があったにも関わらず、登校するのは 遅刻ぎりぎり。
というか、先生が入るよりも先に席についていれば遅刻にならないというルール(?) だったので、とっくにチャイムは鳴っていたんですが、毎日先生を追い抜いて 教室に入ってました(笑)
高校生になると同時に、習字とピアノのお稽古ごとは辞めていたのと、部活も バドミントンだけだったので、時間はかなり余ってたんですが、これといって 何かしていた訳ではなかったですね。
大学に入ることにもあんまりメリットを感じず、xxxx電子専門学校に入って すぐにでも社会人になりたかったのを覚えてます。
早く親元を離れて自立したかったんですね。
受験勉強に目覚めた高校生
ところが、忘れもしない高校2年の11月15日。 小学校からの友人でクラスメートのWに言われた一言。
『谷津田、何にも考えてないんだったら、偏差値の高い大学に入っとけ。』
『俺は、早く社会人になりてーんだよ』
『ばか、目標がちゃんと決まってない奴は、社会人になったって通用しないぜ! それだったら、ちょっとでも偏差値高い大学出てた方が絶対いいから』
と。
確かに一理あったこの言葉。 この日から、一日も休まなかった私の受験勉強がはじまったんです。
とはいっても、熱心に授業を聞いていた訳でもなかったんで、全国模擬試験の偏差値は だいたい45前後。
とうてい国公立大学に入れるレベルではありませんでした。
それでも、なるべく偏差値が高い大学を狙っていたので目標は偏差値70弱の 地方国立大学でした(T北大学)。
結局は、猛勉強したつもりではいましたが、出遅れ感は否めずに最初の目標大学を受験 することさえできませんでした。
それでも、まだ設立して4年目という、可能性に溢れた地元の会津大学に入学することができました。
バイト三昧の大学生時代
会津大学は、私たち4期生が入学したことで初めて大学4学年が揃ったという、 建物も施設も何もかもが新しい素晴らしい大学でした。
同学年も200人足らずで、全学年でも1000人に満たない単科大学だったので、 みんな友達感覚だったのも良かったですね。
ですが、授業は今ひとつ。
日本人の先生よりも外人の先生の方が多いという特殊な大学で、 初めて習うコンピュータの教科なのに、授業が英語という酷(?)な環境もあり、 次第に大学からは足が遠のいていきました(笑)
目覚めたのはバイト。 お金を稼ぐことが非常に好きな私は、バイトを2つ掛持ちするなんてザラにしてました。
大学生活4年間のうちに経験したバイト数は延べ7種類。 ジャンルもバラバラで
- ガソリンスタンド店員
- 中学生の塾講師
- レンタルビデオ店(TSUTAYA系)
- 中学生の家庭教師
- ゴルフキャディ
- スキーイントラのバイト
- イベントスタッフ
と、かなり良い経験をさせてもらいました。
特に、ゴルフキャディなんかはまだバブル景気だった頃にやってましたんで、お医者さんや 町の有力者っぽい方のラウンドに付き合うことが多かったですね。
この時、大人の世界はドロドロしてるということと、深層心理レベルでは、 性格のいい人はほとんどいない、ということが分かりました ^^;
数々の試練を受けた社会人新入生時代
お客様に育てられていた運の良さ
大きな変換となった部署移動
大規模プロジェクトの達成感と疲労感
退社したけど、何やろう?
地元福島でも通用することを証明したいと開業
経験をパッケージ化して成功
大きなフィールドへ・・・


